「オマールの壁」をみました
- 映画つぶやき
- 2016年5月22日
- 読了時間: 3分
ふと映画館のサイトを覗いてみると、「これ観たい!」と思う映画が久しぶりにあったので観てきました(画像クリックで公式サイト)。
★STORY(公式サイトより)★
思慮深く真面目なパン職人のオマールは、監視塔からの銃弾を避けながら分離壁をよじのぼっては、壁の向こう側に住む恋人ナディアのもとに通っていた。長く占領状態が続くパレスチナでは、人権も自由もない。オマールはこんな毎日を変えようと仲間と共に立ち上がったが、イスラエル兵殺害容疑で捕えられてしまう。イスラエルの秘密警察より拷問を受け、一生囚われの身になるか仲間を裏切ってスパイになるかの選択を迫られるが…。

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100%パレスチナ資本で製作されたというこの映画。中東問題の勉強中でもあったのでとても見ごたえがありました。ラストは観る方によっては賛否両論ありそうですが、わっちは個人的に好きです。パレスチナを舞台としたこの映画、もちろん対比としてイスラエルの存在がありますが、パレスチナ問題を考える際には当然アメリカやヨーロッパ、ほか諸外国との関係や政治・宗教的観点も必要だと思っています(twitterで分かりやすいなと思ったパレスチナ問題についてリンクしました。SYNODOS記事「イスラエル・パレスチナ問題Q&A 臼杵陽 / 現代中東政治」)。映画でもこの問題を構成する要素の縮図関係が垣間見えた気がします。
中東問題の解決を考える際、個人的には「共存」がキーワードだと思いますが、複雑な要素がからみ、中東だけの問題ではありません。ふと、ちくまプリマー新書「イスラームから世界を見る / 内藤正典」の中で、オスマン帝国統治下において宗教的共存が成し得ていたことの例をとりながら、あるラビ(ユダヤ教指導者)がイスラエルという国家をユダヤ人にとって絶対的な存在として見ていないこと、さらにはユダヤ教の神聖な教えをねじまげた政治家達がつくりだした国にすぎないと発言。それを受け筆者も「イスラエルや、それを支えるアメリカは、少し共存のなかに生きてきた中東のユダヤ教徒の話しも聴くべきではないでしょうか」と指摘していたのを思い出しました。
頭悪いなりの仮説で申し訳ないですが、個人的に各宗教の自浄作用みたいなものへの期待を持っていて、少なくともナショナリズムやシオニズム等ではなく、宗教的な原点回帰をするべきではと思っています。ラビのお話を引用したのは、少なくとも宗教的共存が成り立つことの証明と期待や、それぞれの宗教の本来の教えが果たして今の理解で良いのかということが疑問があったからです。また、解決の中心は諸外国ではなく、中東に生きる人たちで、その人達の力をどのように世界と結びつけ結集していくかを援助することが重要と思っています。外国中心でいくと対立軸を内部に構成してしまい、向き合うべき相手が見えなくなることはこの映画のなかでも垣間見えます。
少し話しが逸れてしまいました😓ほかにも色々考えさせられる映画です、もしよければご覧あれ〜
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